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台  場

【台場差し】(だいばさし)

今から約170年ほど前、幕末の安政2年(1855年)、祭礼において浜の宮の浜先で屈強な16人の差し手で試みたことがはじまりと言われています。

祭典委員長、相談役取締等関係者が台場差しを行う場所「差して場」を決め、その場所に盛り塩にて安全を祈願します。

屋台の本棒の閂(かんぬき)を取り外し、差して場において練り子が屋台を差し上げてまま静止します。

その間に台場(泥台)の外側に8人、内側に8人、台場の四隅に2本ずつある角に8人、と合計24人の差し手が入ります。

(西細江の屋台が現在の大屋台となる前の中屋台の時代は、台場の外側に8人、内側に4人、泥台四隅の角に8人の20人でした。)

息を整えた練り子、差し手、太鼓を止めた乗り子、そして見守る観客と、一瞬辺りが静寂となった時、

「サー、イー、テー、バ・チョーサー」

の掛け声に合わせて練り子が真上に放り上げた屋台を、台場の差し手24人だけで頭上高く差し支える、という豪快且つ伝統的な荒技です。

さらに台場の差し手が頭上高く差し支えたまま、「サイテバ・チョーサー」の掛け声とともに太鼓が繰り返し打ち鳴らされ、各町はその太鼓の回数を競います。


以前は「須加、宮、天神」の大屋台3ヶ町よって行われていましたが、平成11年に西細江の屋台も台場差しを行うようになり、台場(泥台)などを改修、平成12年に本棒、脇棒を丸型にしました。
台場差しは、台場に入る差し手同士はもとより、屋台の放り上げや差し上げた屋台を受ける練り子や、太鼓を打つ乗り子との絶対的な信頼関係がないと成り立ちません。

一説には「サイテバ」は「祭典場(さいてんば)」、「チョーサ」は中国語の「招財(チョーサイ)」を語源とし、 招財は神輿(みこし)とともに中国から伝わり、めでたい時に使う言葉であるとも言われています。

浜の宮天満宮の氏子地区の台場差しを行う屋台は、 

 ①台場(泥台)が広く造られていてる。 

 ②泥台に角(つの)と呼ばれる突起がある。 

 ③高欄掛けがなく、伊達綱を眼鏡状に巻いている。

  (これには諸説あるようで、台場差しのときに高欄掛けがあると受け手からすると適していない。台場差しのときに見栄えよく脇棒受け

   に彫刻をしているのに、高欄掛けがあるとその彫刻が見えないので、その間を補うのに伊達綱を眼鏡状にしている。)・・等々  

 ④屋台を受けやすくるため、本棒、脇棒ともに丸型になっており、本棒の閂を取り外すことができる。

などの特長があります。

平成13(2001年)年8月23日、名称「浜の宮天満宮秋季例祭屋台練り台場差し」として、「姫路市重要無形民俗文化財」に指定されました。
同年9月24日には、その文化財指定記念行事として、浜の宮天満宮において記念式典が行われ「須加・宮・天神」の各町とともに祝賀の「台場差し奉納」を披露いたしました。 

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2014年 西細江台場差し

於:浜の宮天満宮

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