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西

細江

屋台

平成28年(2016年)に24年ぶりに大屋台として屋台新調をおこない、平成30年(2018年)には漆塗り、各所彩色を施し、また伊達綱も新調し大屋台として完成することができました

町民の皆様はもとより、浜の宮天満宮氏子地区の関係者、河野屋台製作所の皆様、あらゆる関係者の皆様のお力添えで屋台の新調、また完成の日を迎えることができたことに感謝の言葉しかありません。

今後の西細江を担う若い世代に大切に受け継いでいかなければなりません。

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かつての屋台

平成4年に屋台を新調してから、泥台、かき棒、脇棒受け、乗り子襦袢、そして伊達綱と、新調をおこない、現行屋台に至るまでのかつての屋台です。

下記の6枚の写真は「播州屋台旅日記」のサイト管理人「四神の高覧掛」様からの提供です。

貴重な写真をありがとうございました。

かつての狭間(さま)

平成4年式屋台の狭間。

彫刻は姫路市青山の彫刻師「井上準司」氏の作品です。

楠公父子訣別桜井駅】 (なんこうふしけつべつさくらいえき)

楠公父子訣別桜井駅】 (なんこうふしけつべつさくらいえき)

大忠臣・楠木正成は、柔弱な長袖連中の為足利尊氏を兵庫浜にて邀撃すると云う不利な戦に挑まねばならなくなった。出陣にあたり正成が、桜井駅にて息子・正行を呼び形見の短刀を手渡し、今生の別れをする場面です。

【天の岩屋戸の変】 (あまのいわやとのへん)

【天の岩屋戸の変】 (あまのいわやとのへん)

須佐之男命のご暴状にお怒りになった天照大神が天の岩屋戸にお籠りになったので、天下は全て真暗になった。 そこで、八百萬の天神達が安河原にお集まりになりあれこれと騒ぎ立てらたので遂に、天照大神は天の岩屋戸よりお出ましになり世は再び明るくなったと云う神話。

【五条大橋牛若丸と弁慶】 (ごじょうおおはしうしわかまるとべんけい)

【五条大橋牛若丸と弁慶】 (ごじょうおおはしうしわかまるとべんけい)

武蔵坊弁慶は千本の太刀を集めようとして後一本となった頃、京の五条大橋で横笛吹く牛若丸と出会う。 弁慶は牛若丸の黄金の太刀を奪おうと襲いかかるが牛若丸は欄干を飛び交い、最後は返り討ちに遭ってしまう。降参した弁慶は、牛若丸と弁慶は主従の契りを結ぶ。

【加藤清正の虎退治】 (かとうきよまさのとらたいじ)

【加藤清正の虎退治】 (かとうきよまさのとらたいじ)

内統一を成し遂げた秀吉の野望は朝鮮征討(一五九二年、文録の役)に目を向けた。だがこの出兵は最初から無理があった。渡鮮してまもなく種々の病や猛虎の襲撃を受け朝鮮統一は此の虎群を退治せねばと木村又蔵、後藤又兵衛らと共に槍を振るって大活躍。 さしもの猛虎群も日本軍の武勇の前に屈した。此の場面は清正が荒れ狂う大虎をしとめるところである。

その他

一部平成4年式屋台の装飾がございます。

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